川崎北ロータリークラブ入会卓話
※現在は港北ロータリークラブに移籍しています。



理事長 廣瀬 隆史先生

 伝統ある川崎北ロータリークラブに入会させていただき、早い物でちょうど2年になります。
 錚々たる会社の長である方々の中において、私も長には違いありませんが、小さな整形クリニックを開業して今年で5年目の者がとなりますと、時期尚早ではないかなと思いましたが、ご推挙されたことを理解し微力ではありますが、この川崎で診療を始めたからには、地域の皆様方との出会いも大切にしてこそ、地域の患者さん方ともより良い関係で日常の診療にも打ち込めると考えまして、入会させていただきました。
 会員の皆様方とは、まだ3分の1の位の方々としかお話をしたことが無いと思いますので、自己紹介のつもりでお話させていただきます。



 さて、私の生い立ちですが、生い立ちと申すものほどのことはございませんが、出身は茨城県筑波山の麓であります。現在のつくば市です。当時は、まだ筑波町でした。両親は共に医者であり、父は外科医、母は小児科医でした。
 皆様方に昨年、多大なご配慮をいただきましたちちは、79歳で他界いたしましたが、町医者の典型のような親父でした。私は18歳頃より上京しておりますので、こちらの方が長いのですが、時々帰省の折には、一杯飲みながら昔話をしておりました。なかでも程良くお酒が入ると、海軍軍医時代にロビンソン・クルーソーみたいに無人島を漂流したことなどの話しを感激家であったので、よく目を潤ませながら話していました。
 5年前の開業の時も、ささやかな宴を設けた席上で「天気晴朗なれど、波高し」と、息子をよろしくと挨拶したことが、私の耳に今でも焼き付いております。また生家には、「温故知新」という書が掛けてありましたが、「古きをたずねて、新しきを知る」と解釈することも出来ますが、先人の重みのあるなかなか良い教えであると思います。伝統ある川崎北ロータリークラブにあっても、大先輩達の貴重なお話しやアドバイスは若輩の我々には生き字引そのものであり、吸収できたらと思っております。
 また、母はあまり診療はしておりませんでした。父が外出して留守の時に診療するぐらいでした。
 茨城というと高速道路が整備されましたし、ご承知のようにゴルフ場も沢山ありますが、母は茸とりが好きで私達、子どもを連れてよく茸とりに行った記憶がありますが、母が仕事をしている姿はあまり見たことはありませんでした。この筑波の医院は現在、実弟が後継ぎとして整形外科医院を開業しております。



 私は、川崎にご縁がありまして、地元の県立土浦一高を経て、聖マリアンナ医科大学で医者の第一歩を歩き始めました。聖マリアンナ医科大学と申しますと、当クラブにも大先輩であります赤尾さんがいらっしゃいます。私は、第一期生でありますが、小杉の東横病院が母体となっております。創立者の明石嘉聞先生は聖マリアンナ医科大学創立3年目に他界されましたが、当時を振り返りますと、懐かしいエピソードがございます。我々学生140名を田園調布のご自宅へ半数の70名ずつバスを出して招いていただき、昼間から酒盛りをさせていただいた思い出がございます。明石先生は一代で医大まで創立された大変な先生だったと改めて敬服する次第でございます。当、北クラブも創立時のご苦労は大変なものだったと思います。
 医科大学の同級生達も、医師の研修をへて実力を養い、大学に残り、教授、助教授、講師として残っている者もおりますが、ベビーブーム時代の我々は、全国から学生が集まり、現在は各々家業を継いで開業している者が大部分で、全国に散らばっております。
 医者になるまでの過程をご存じない方もいらっしゃいますので、お話させていただきます。
 私は現在、整形外科を専門として開業いたしておりますが、大学を卒業して国家試験を取得し、実際の臨床の医療に就けるわけですが、現場では点滴注射の針の刺し方も、この時点では現場の看護婦さんの方が、ずっと上手で最初は指導して貰うのです。朝早く登院して点滴注射を研修期間中に学ぶのです。学生時代は全科を学び、卒業後に自分の進む科を選択するのです。私の場合、まず消化器外科を選びました。父が外科医でしたので、まず大きなことから学べということでしたので選びました。次のステップにおきまして、整形外科を選択した次第であります。
 外科の場合は、何と言っても手術が主であり、よく徒弟制度ともいわれますが、親方の技術を、身につけるために、学び、盗むのです。私にも当然恩師がおります。運良く私が民間病院勤務の時に、某大学の整形外科教授でした。私が助手で、顎から足先まで頭部以外は、殆ど整形的疾患の手術は教授してもらった次第です。整形外科は守備範囲が広く、よく大工みたいだよと言われていました。確かに骨を削るのに木槌を用いたものです。現在の手術は、麻酔管理が発達しているので、全身麻酔などで安全性も高く、手術も大部楽になっております。恩師の言葉で脳裏にあるのは「君には教科書に書いてないことも教えたい」と、言っていたことです。確かに、生身の体を預かるこの仕事においても、教科書通りでないこともあります。経験を身につけること、当然ではありますが、常に細心のちゅういをはらうことを頭の片隅に置いていなければなりません。ストレスの溜まる仕事であるのです。



 では、この辺で家族構成をご紹介いたします。妻、子ども2人です。家内も川崎にご縁がありまして、この小杉出身です。
 長女は、小学5年生。次女は幼稚園の年長さんです。子づくりは少々遅れたので、まだまだこれからが大変です。趣味は、多趣味です。体重が現在だいぶオーバーしていますが、学生時代は特にスポーツで陸上競技、剣道、ゴルフ、現在は近所のスポーツジムでスイミングをしています。体を動かすことが好きです。お酒も嫌いな方ではありませんが、大学以降は美味しい酒を飲むためにの感もございます。しかし、現在まで大病もせずに来られたのは「飲むからには運動する」の健康代謝生活は基本的なライフサイクルの一つと信念を持っております。どうぞ、皆様方も自分に合ったもので、健康維持を心掛けてください。
 また、最近は油絵を少々と、朝の園芸(ガーデニング)なども楽しいものです。私も多少歳をとってきたのでしょうか・・・・・。



 それでは、皆様方の身近な整形外科として、少し日常診療をしていく上でのお話をしましょう。
 まず、整形外科と申しますと、いわゆる「美容整形」などを思い浮かべられる方もおられるのではないかと思います。鼻を高くしたり、乳房を大きくしたりするのは、形成外科と言いましてまったく別のものです。私の整形は、骨格と筋とからなる運動器系の外科です。骨折、捻挫、疼痛(関節痛、神経痛)、慢性疾患が中心です。頭を除けば、体中殆ど関連しております。
 まず、(頚)から、いきましょう。
 頚部痛(寝違え、むち打ち症)肩凝りなどが多いものです。頚の骨(頚椎の変形)より、神経を圧迫して痛みや上肢痛みや痺れなどが生じます。頚の長い人はやはり、肩が凝りやすいものです。仕事の姿勢、ストレス、血行の悪い人も肩こりの原因になります。
 (腰)何と言っても、腰痛でしょう。人間個人差はありますが、大体、骨も50歳を過ぎると変形してきます。私も、特に脊椎を多く診て参りました。ヘルニアの手術は、大分いたしました。程度の差はありますが、普通は気をつけて治療すれば手術まで至らないと思います。手術は最後の手段です。腰痛に関して、足の症状がでたら、やや重傷と考えてください。痺れや痛みですね。普段多いのはギックリ腰です。中腰の姿勢などで、重たい荷物を持った時にくる腰痛ですね。3日位安静にして寝ていれば治るものが多いです。急性腰痛症、いわゆる筋肉生の腰痛です。ともかく、多少なりとも腰痛を出した人は、皆様方の中にも多いと思われますが、出難くするためには腰の周りの筋肉、いわゆる腹筋、背筋をより強くすることです。この周囲の筋肉が強い人は、骨の変形があっても症状が出にくくなります。



 次に多いのが、(膝)です。どうしても荷重関節と申しまして、体重のかかる関節のためです。変形性のものが摩耗してきて関節面のバランスが悪くなり、階段の昇り降りや正座のときになどに痛みが出現してくるものです。患者さんの中に「老化現象ですよ」と、いうと気を悪くする人もいるので、「加齢現象」などと置き換えて説明することもあります。治療の中心は、関節内に軟骨の保護剤を注入しますと大分改善されます。現在は治療の主流です。
 次は(肩)の疾患が多いと思われます。いわゆる五十肩ですね。昔風にいえば結掬動作、結帯動作において出現する肩痛です。夜、寝ていても寝返りをしたくなる様な鈍痛症状です。よく肩を動かして運動しろと言いますが、痛くて運動もままなりません。再発しないようにするためには、痛みをとってからの運動をお奨めします。
 以上の様な疾患が、日常の診療上多いものです。
 また、皆様方の身近な整形外科医として遠慮なくご相談ください。



 西の方のお寺より、今年の言葉をいただいております。
 「卯をとって テイ(うさぎをとる罠)を忘る」


先代廣瀬先生と廣瀬医院の様子。(昭和30年ごろ)
※理事長 廣瀬 隆史先生のご了承を得て掲載しました。






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